満中陰(四十九日)が三月にわたるといけないのですか?
中陰法要は冥福を祈る為のものではありません。
肉親の死を目の当たりにした悲しみの中から、故人の遺徳を偲ぶと共に、これを縁として私たちの人生の確かなよりどころとなって下さるお念仏の教えを聞き、阿弥陀如来さまへの報謝の念を深める為の仏事です。
この中陰に関し四十九日が三月にわたるといけないと言う迷信がありますが、語呂合わせの迷信そのものです
中陰法要は冥福を祈る為のものではありません。
肉親の死を目の当たりにした悲しみの中から、故人の遺徳を偲ぶと共に、これを縁として私たちの人生の確かなよりどころとなって下さるお念仏の教えを聞き、阿弥陀如来さまへの報謝の念を深める為の仏事です。
この中陰に関し四十九日が三月にわたるといけないと言う迷信がありますが、語呂合わせの迷信そのものです
浄土真宗のみ教えは、社会的地位や修行の度合いによって死後の「位」が定まるのではなく、心身一つ、皆等しくお浄土に生まれることが出来ると言うみ教えです。
そのみ教えを帰依した人に与えられるのが法名です。
それでは院号とは何かと言いますと、仏法を広め宗門護持に尽くした人を讃える意味で送られるものなのです。
具体的には通常の場合、宗門の護持発展に役立てる意味の永代懇志を一定額以上 本山に納めた
方への扱いの一つとして交付されます。
お金で買うものではありません。
宗門発展を願う気持ちが大切です。
分骨する事によって、故人の身が裂かれバラバラになり故人が迷ってしまうと言う人がいます。
これは遺骨を故人としてとらえるからです。
お釈迦様の遺骨(仏舎利)の事を考えれば、荼毘に伏された遺骨は八つに分骨され、お弟子さんがそれぞれ国に持ち帰り、お釈迦様の遺徳を偲び、そのみ教えを信じ喜んだそうです。
こういう事を考えますと「分骨はいけない」という発想はわいてこないのではないでしょうか。
お香を嗅ぐことによって、清らかなお浄土を思い、さらには誰彼となく行き渡るお香の薫りから 如来さまの分け隔てなく注いで下さる、お慈悲の心にも触れさせて頂くという意味が込められています。
花は敬愛や感謝のしるし。
仏花を供えるのは如来さまのお徳をたたえ、そのご恩に感謝する気持ちを表し、花を通して全てを生かし育んで下さる如来さまの命に触れさせていただくとの意味が込められています。
ローソクの火には二つの面があります。
一つには光です。迷いの闇を隈無く照らして真実に向かわせる智慧の光明です。
もう一面は熱でお慈悲の温もりが、固く閉ざした心を解きほぐして下さいます。
法名を頂いていない御門徒が亡くなりますと、導師を勤めるご住職が門主に代わり「おかみそり」(帰郷式を行い法名をうける事になる)つまり仏教徒に成る為の儀式です。
死者をお浄土などの世界に引き導くと言う意味で使われています。
浄土真宗の場合は生きている人間を仏教の世界に導くという意味で使われています。
仏教の基本的教義である三法印の一。
この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと、この世のすべてがはかないことという意味があります。
志を持ってある程度まとまったお金や仏具などをお寺に納めることです。
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